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ハンドルネーム
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山猫さん
1961年生 |
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お住まいの県
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愛知県
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疾患名
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臼蓋形成不全による
右変形性股関節症:進行期 |
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AAO手術右股関節
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2009年1月22日
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DATA UP
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2009.01.27
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My favorite things
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登山・スキー
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最終更新日
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2009.02.04
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山猫は昭和36年11月末(冬)福井の田舎街で生まれました。体重2,300g、今でいうとやや小さめ?乳児(生後3ヶ月)検診にて保健婦さんに「足の動きが悪い、異常です」と言われ、両親は嘆き悲しんだようです。その頃、福井の田舎では治療できる病院が無く京都や金沢の病院をめぐり結局、隣の石川県国立病院で治療することになりました。当時「車」も無く自宅からJR(国鉄)で一日がかり母が私をおんぶ、祖母が荷物を持ち移動。母は真冬の季節で寒く、ギブスをつけた私を「重くたいへんだった」と…。豪雪でJRが不通になり降ろされ雪の中線路伝いに歩いて行った日…帰れずに病院で夜を明かしたと…。
何も知らない私はしょっちゅう泣き明かし、ミルクも飲まず体重も増えていかなかったこと、1年後のギブスの取れた私の足は異常に細くかわいそうでたまらなかった……そんな話を母から聞いていました。
小学校の頃はあまり丈夫ではなく朝の朝礼で貧血、給食は最後まで食べられず居残り組、体育の通知表は5段階評価の「2」…でも足は普通の人並みに走ったり跳んだり何もなかったように過ごしていました。
高校卒業後、福井の田舎では自分の希望にかなった職もなく愛知県にて就職。職場で知り合った夫と結婚、共働き。子供に恵まれなかったので「山のクラブ」に入会しました。登山やスキーにしょっちゅう出掛けるようになり、たくさんの友達を持て、美しい花々や小動物、素晴らしい景色を見ながら今まで過ごしてきたのも苦労して私を治してくれた両親のお陰だと感謝しています。
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今から10年以上前、祖母が人工股関節をまた7年前実父も急に股関節が悪くなり同様に人工股関節となりました。父のOPドクターより「遺伝要素があるかもしれない。骨格が似ることもあるので気をつけるように」と指摘されていたんですが……。仕事も忙しく遊びも楽しく痛みもない私は病院へ行くなんて考えもしてませんでした。しかし2008年3月寒い冬スキーにて「タイツが脱げない、足が上がらない…」が翌日以降も続き、もしかして…?と病院へ。
やはり変形性股関節症、進行期の告知を受けました。近医のA総合病院、B市民病院、愛知の有名なC大学病院、父が股関節の手術を受けたD大学病院、診断はすべて同じ。
「現時点での治療はなし。3ヶ月定期検診が必要。悪くなって歩けなくなったら『人工股関節』まであと数年ですね…」と。
好きな登山、スキーも控えてじっとあきらめて待つしか手立てがないの??
半年間じっとあきらめていたもののやはり悔しい…。ひたすら関節温存手術(骨切り術)のできる病院を捜し、やっとCE3のHPにたどりつきました。
2008年9月よりCE3に連絡メールを数回し気持ちを固めて特診(特別診察)の予約〜受診。山猫は「AAO可能」と。でも進行期、スキマ(軟骨)も少なく不利と…。右が進行期、左も臼蓋形成不全で変形性股関節症の初期です。
先生からは
<1.初期の左を先にAAOし右は保存後人工股関節>
<2.進行期の右をチャレンジでAAO 左は保存>
<3.右をAAOの後、左もAAO>
の3つの選択肢から選ぶ様に言われました。
いずれ近いうちに人工股関節になるならラストチャンスだと初診で気持ちが固まったものの即決する勇気が出ず、10月主人と同行し再度特診、翌11月に手術の予定できそうな気配だったんですが仕事の折り合いをつけられず3ヶ月後の2009年1月に進行期の右股関節のAAOを予約しました。
カレンダーを見て「1月22日(うん、いいふうふ(11月22日))になんか似ているなぁ」と。
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山やスキー仲間と最後に出かけられるのかなと…なんて下心もあったりして…年末年始は主人と過ごしたいし……でも足はいうことを聞かず残業続きの毎日…
夜、足が痛くて目が覚める日が続くと仕事の事を考えずに11月に手術を受けておけば良かったのかな…と後悔したりする日もありました。
そんな中12月中旬、母が急に悪くなり検査入院、「ガン」判明、私の手術後6日目に母の「ガン摘出手術」が決まりました。
大ピンチを迎え、クリスマスイブに自己血貯血。究極の選択を迫られてTNパパ先生と日程等の相談。
母からの第一報の電話は「もうあかん(ダメ)なんや、まーちゃんに母さんの関節あげたい…」と泣きながらでした。
帰郷すると母は身辺整理をしながら「私のガンの場所が悪く手術が大変であり、危険率も高いの」と話します。
母は近いうちにこの世から居なくなってしまう…その前に私の治った股関節を見せて安心してもらいたい。リハビリを兼ねて実家に戻りしばらく母の看護はできないにしろそばにいたいと思いました。
2008年の12月〜年末年始は実家に数回、友人や後輩・主人と1回ずつスキーを楽しみ、おそろしく激しい仕事の量をこなし悔いのないまま手術当日を迎えました。
