変形性股関節症 臼蓋内転骨切り術AAO HOMEへ ブログへ サイトマップヘ MAILtoCE3
「ころいどさん1」
先天性股関節脱臼治療の後、
10代前半で高度臼蓋形成不全(左CE角-22度)へと。
ハンドルネーム
ころいどさん
1989年(平成元年)生
お住まいの県
群馬県/東京都
疾患名
  臼蓋形成不全による
左変形性股関節症:進行期
AAO手術左股関節
2009年3月5日
DATA UP
2009.02.20
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ひとりごと
最終更新日
2009.04.05



※ころいどの3つのポイント
1)先天性股関節脱臼治療後定期経過観察による病状把握、手術踏みきり
2)高度臼蓋形成不全(左CE角-22度)、及び変形性股関節症進行期
3)自覚症状は歩行時の痛み、トレンデレンブルク歩行程度。


▶1989年先天性股関節脱臼で誕生(1989.1歳〜1991. 3歳)
1989年9月4日群馬県において先天性股関節脱臼(以下先股脱と略します)で誕生。
3ヶ月検診ではOKなのか見過ごされたのか、歩行開始後に保育士さんに指摘されて判明。某市民病院で、リーメビューゲルで治療を試みますが、3歳で内反骨切り術を受けました。その後は整体院、接骨医院通い。電気、低周波など一通りは経験済みです。3ヶ月検診ではOKなのか見過ごされたのか(発育性股関節脱臼という可能性もありますしね♪)


1991年4月7日(当時2歳7ヶ月)
先天性股関節脱臼。初診のx-p。保育園に当時通っており、保育士さんに歩き方を指摘されて受診。隣の市の股関節専門外来がある、整形外科へお世話になる。見事に左股関節ちゃん、脱臼ですね(苦笑)リーメンビューゲルを使用。



1992年9月21日(当時3歳0ヶ月)
[徒手整復法直後]5ヶ月後、リーメンの甲斐なく、全身麻酔下での徒手整復法(非観血的整復術)。下の大腿骨の位置は正常に近づいたものの骨頭を正しく臼蓋の中心に向けることが出来ず。開排ギブスで数週間固定したのち開排位ブカブカ装具を数ヶ月装着するも、大腿骨減捻内反骨切りをやることに。


1993年2月4日(当時3歳5ヶ月)[大腿骨減捻内反骨切り後]非観血的整復術から5ヶ月。骨頭を臼蓋の中心に向けるために、大腿骨の減捻内反骨切りをする。その後、金属プレートを抜く手術をする。すべてを通して、傷跡は約10cm。赤っぽいミミズのような創痕はずっと残る。(体質によるそうです。)

▶幼少時の症状(1991~2002 主に小学校時代)
びっこ歩きはありました。友達からは「歩き方でころいどだと認識出来る」と言われていました。当時脚長差は約3cm(現在2cm)。インソールを勧められたことはありますが、内反母趾になって止めました。足も遅くて、「ころいどちゃんとは鬼ごっこしたくない」と言われたことも(笑)。病気とは直接の因果関係はないと思われますが、運動神経が悪く、縄跳びが苦手な、積極的一方で教室にいることが多い少女でした。また、こけやすくよくアザを作っていました。

▶年に一度の定期検診→小6で痛み自覚・発病 (2002.8 小6 12歳)
先股脱の治療後、幸いにも年に一度定期検診を続けていました。小学校高学年に臼蓋の形成不全の甘さがほんのりと指摘されていましたが、小6のときに、診察室に入ったときに、レントゲンとにらめあう笑顔のない主治医がいました。「痛い?」と聞かれ、「手術が必要だろう」とも。ただし、手術は骨の成長が止まってでいいので、経過観察沙汰でした。小6冬以降鬼ごっこ程度で足の違和感を感じている自分がいました。

▶将来手術宣告?(2002.8 小6 12歳~)
小6で宣告されたもの、真に受けず‥。そのうちよくなるものだと。中1の時、webで、調べると初めて自分の病気を客観的に知ることが出来ました。進行する病、手術の種類、方法。誰を責めることも出来ず自分で受け止めることも出来ず。その後も一人で淡々とwebで調べることが日常になっていました。手術(RAO)の具体説明が主治医からされたのは中2のときでした。中学生の頃には 既に、"先天性の病で足が悪い"っていう認識ができていました。

▶持久走大会、陸上部(中学)〜 スポーツエピソード (2001.~)
恵まれていたことに、当時の主治医はQOL(Quality Of Life)の高いDr.であることもあり、無理のない範囲で、ということでスポーツ制限はありませんでした。 中学では陸上部に所属し、 中長距離を専門に練習していました。(流石に毎日10km走っていたことは驚かれましたが。)
小5で持久走に夢中になりましたが、小6のときには殆どうまく走れなくなっていました。走っているつもりなのに、前に進まない実感。股関節にうまく体重をかけて上半身を前に移動できない、という感じがありました。高校入学後、運動部の選択肢はもう無かったものの、友達同士でhiphopを齧ったり。一方、痛みは確実に悪化の一途を。体育バレーボール程度で、足が痛い。高校から、大学生になると同時に、痛みを感じる歩行時間の間隔がだんだんと短くなっていきました。


2001年7月24日(当時12歳10ヶ月。中学1年)毎年の定期検診(フォローアップ)でのレントゲン。すでに、臼蓋の形成不全が認められる。「将来手術が必要かもしれない」という話が出始めた頃。成長軟骨があり、まだY軟骨のあるため(Y軟骨の消失=寛骨臼の発育完了を示す。)年一回の経過観察が続く。


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ころいどwii風.gifです。この帽子は何?だろう?ハト?